20240902
フェリス女学院大学には、「読書運動科目」というCLA科目があります。図書館で活動する学生組織「読書運動プロジェクト(通称:読プロ)」と教職員が毎年本にかかわるテーマを選んで開講される科目です。2024年度は、「女性たちはどのように“書いて”きたのか―本から学ぶ、さまざまな女性の生き方」(担当教員:文学部コミュニケーション学科・小ヶ谷千穂)というテーマで、康 潤伊/鈴木 宏子/丹野 清人編著『わたしもじだいのいちぶです―川崎桜本・ハルモニたちがつづった生活史』(日本評論社、2019年)をテキストに授業を進めました。
テキスト『わたしもじだいのいちぶです』は、日本の植民地支配下で朝鮮半島から日本への移動を強いられ、厳しい経済状況と差別の中で戦中・戦後を生き抜く中で、読み書きを学ぶ機会を奪われてきた在日コリアンのハルモニ(韓国語で「おばあさん」)たちが、川崎・桜本にあるふれあい館が主催する識字教室で文字を学び、共同学習者とともに自分たちの過去の経験や、戦争や平和に対する思いをつづった文章を中心に編まれた本です。本文には、通常の活字だけでなく、ハルモニたちの力強い手書きの文章や、絵なども収録されており、高齢となったハルモニたちの、活き活きとした、そして時に鋭く歴史を問い直す視点を、よりストレートに感じることができました。
授業内では、テキストを毎週じっくり読みあいながら、受講生同士で、日本と朝鮮半島のはざまでハルモニ達がおかれてきた状況や、ハルモニ達の反戦への強い想い、その中でも近年起こっているヘイトスピーチの深刻さなどについて、毎回熱心な議論が交わされました。
また、同じく桜本のハルモニを取り上げたドキュメンタリー『アリラン・ラプソディ~海を越えたハルモニたち』(金聖雄監督、2023年)の授業内上映会を行ったり、ゲスト・スピーカーとして、ハルモニ達の共同学習者として長く寄り添われてきた、本学非常勤講師の橋本みゆき先生をお招きするなどして、さらにハルモニたちの歩んできた道について、学ぶことができました。
『わたしもじだいのいちぶです』の本文中には、こうしたハルモニの言葉がありました。
「私は、たのまれればいやだけどいつもみんなのまえで、じぶんのこれまでのことをはなします。むねのおくのほうにねかしてあるいやなことをむりやり思いだしてはなすのはつらいです。だから、はなしてもはんのうがなく、なんにもかえしてくれないと、はなさなきゃよかったと思います」
ハルモニのこの言葉は受講生に強く響き、テキストを読み終えた全員が、それぞれハルモニに手紙を書くことになりました。中には、文字だけではなく絵や貼り絵、習字などでハルモニへのメッセージを描いた受講生もいました。これらの手紙やメッセージは、8月21日に橋本先生のコーディネートのもと、担当教員と複数の学生とで実際にウリマダン(ハルモニたちの交流学習の場)を訪問できたことで、直接ハルモニ達に手渡すことができました。
(なお、この訪問については、8月28日の朝日新聞にも一部掲載されました)
半期の授業を終えた受講生たちの言葉から、フェリス生たちとハルモニたちの出会いの一端を見ることができると思います。
「私はハルモニや茨木さん*の経験を通じて、言葉というものがいかに国や歴史から不自由であるかをよく学びました。言葉を得ることは、自尊心を育む上でかけがえがないと思いますが、国単位の利害にもみくしゃにされた末端で、言葉を習得する機会を奪われた人たちがいることは忘れてはいけないと思います。」(*詩人茨木のり子。授業内では、彼女が韓国語を学んでいたことについても触れました)(日文・4年生)
「ハルモニたちが日記を書いた理由は“可哀想だね”と慈悲してもらいたいわけではないと考えます。“わたしもその時代を生きたのよ”、“わたしもその時代を作り上げた一人なのよ”という証明を日記を通して残したかったのではないかと思います。その事実を私は知った(知ってしまった)責任があると思います。ハルモニたちが生きてきた事実がハルモニたち自身の手で語り継がれているように、自分もこの事実に目を背けず、向き合っていかなければいけないと考えました。」(コミュ・2年生)
文学部コミュニケーション学科 教授 小ヶ谷千穂