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“おたより”

20211119

『フェリス百人一首』(『和歌・短歌のすすめ 新撰百人一首』)刊行記念「エッセイ・イラスト コンテスト」の入選作品の発表

『フェリス百人一首』 (『和歌・短歌のすすめ 新撰百人一首』花鳥社)刊行記念「エッセイ・イラスト コンテスト」の入選作品は、以下のとおりです。選評も添えて、発表します。

入選作品と選評

1 エッセイ部門
人文科学研究科日本語日本文学専攻博士前期課程1年 福島和奏
「桐壺更衣は幸せだったのか?」
福島和奏さんは、『源氏物語』から桐壺更衣の和歌「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」(『源氏物語』桐壺巻)を選びました。『源氏物語』中、最初に登場する和歌がこの一首です。和歌には、心情のクライマックスが託されます。そうした和歌の特質をよく理解したうえで、更衣の心情に迫ったエッセイです。


2 イラスト部門
文学部日本語日本文学科2年 佐藤思穂
「柿本人麻呂と山鳥」
『フェリス百人一首』の柿本人麻呂の和歌は「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも」でした。佐藤思穂さんは、『小倉百人一首』の和歌「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」を題材にしたイラストを制作しました。月、紅葉、山鳥を組み合わせた、完成度の高い作品です。

入選作品紹介

1 エッセイ部門
「桐壺更衣は幸せだったのか?」
人文科学研究科日本語日本文学専攻博士前期課程1年 福島和奏


かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

(『源氏物語』桐壺巻・桐壺更衣)

(訳)今は、それが定めとお別れしなければならない死出の道が悲しく思われますにつけて、私が行きたいのは生きる道のほうでございます。

『源氏物語』五四帖には、八〇〇首近くの和歌が含まれています。その中で最初に登場する和歌が、この「かぎりとて」の一首です。作者は、主人公・光源氏の母である桐壺更衣です。

桐壺更衣は、大納言家の娘でした。大納言は大臣に次ぐ位なので、その娘は帝の后たちの中でも女御という高い位になるはずでした。しかし、父の大納言は更衣が帝の后として入内する前に亡くなってしまいました。大黒柱の男性が亡くなってしまった家は没落することが多く、大納言家も例外ではありませんでした。娘は女御よりも下の位の更衣として桐壺という殿舎に住むことになり、桐壺更衣と呼ばれるようになります。しかし、桐壺更衣は帝から大きな寵愛を受けるようになりました。女御たちは自分たちよりも身分の低い桐壺更衣が帝の寵愛を受けることになることに怒り、桐壺更衣を様々な手を使って追い詰めます。桐壺更衣は心も身体も弱っていきますが、帝の寵愛は変わることなく、二人の間には玉のような男の子が誕生します。この男の子が後の光源氏です。


帝の寵愛を受け、子どもが生まれ、幸せな生活を送るように思われましたが、他の后たちの嫉妬が止まることはなく、いじめとも言うべき仕打ちがエスカレートしていきました。光源氏が三歳になった頃、桐壺更衣はとうとう身体を壊し、危篤状態になってしまいます。宮中は、穢れを忌む場所であるため、桐壺更衣は実家に帰らなければなりません。帝は桐壺更衣との別れを悲しみ、なかなか実家に帰すことを許しませんが、それも限界があり、実家に帰ることになります。帝は、皇族にしか許されない手車(人が運ぶ車。当時の貴族は移動に牛が車を引く牛車を使っていました)を手配し、桐壺更衣を実家まで送らせます。この場面で、帝との別れを悲しんだ桐壺更衣が詠んだ歌が、この歌です。

第四句の「いか」は、「行く」と「生く」の掛詞になっています。死期を悟り、もうこれが最後の対面であろうと覚悟すればするほど、悲しく、まだ生きたいという気持ちが勝る、という内容を、死出の道、生きる道の二つの道のうち、私が行きたいのは生きる道の方だと訴えています。


しかし、桐壺更衣はこの後、生きる道に向かうことはできず、亡くなってしまいます。短い生涯の中で、愛する帝からこの上ないほどの寵愛を受け、可愛らしい男の子まで授かりました。その一方で寵愛を受けたために望まない死の道に向かうことになってしまったのでした。物語中で、桐壺更衣が発言をする場面はほとんどありません。物語の読者は、桐壺更衣が幸せなのか、不幸せなのか、彼女の死に際までわかりません。しかし、桐壺更衣のこの歌は、帝の寵愛を受けて本当に幸せだったことがわかる歌でした。そんな幸せを感じられる相手と、私もめぐりあいたいものです。


2 イラスト部門
「柿本人麻呂と山鳥」
文学部日本語日本文学科2年 佐藤思穂

文学部日本語日本文学科教授 谷知子

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