03special
“よみもの”
20210716
私の専門分野はアメリカ研究です。アメリカ研究では政治経済・社会学・文学・文化研究など様々な学問領域を複合的に用いつつ、多様な観点からアメリカについて理解を深めることが求められます。私は特にアメリカ文化において家族がどのように描かれているのかということに興味を抱いており、近年は子育てをする父親が文学や映画作品などのなかでどう表象されているのかを研究しています。
日本において「イクメン」という言葉が流行し始めたのは今から十年ほど前のことですが、子育てをする父親がアメリカ文化のなかで大きく取り上げられ始めたのは1970年代後半のことでした。なるほど、やはり日本ではジェンダー問題への理解が遅れているのだな―そのように感じる方もいらっしゃるかもしれません。けれども、「欧米は進んでいて、日本は遅れている」という図式を鵜呑みにしてもよいのでしょうか?
私はなにも、日本は実はジェンダー先進国なのだと主張したいわけではありません―父親の育児に限らず、待機児童や保育士の待遇など、育児ひとつをとっても解決するべき問題は山積みです。そうではなくて、私が問いたいのは、欧米社会におけるジェンダーの問題をきちんと吟味することなく、それを漠然と日本のモデルとしてもよいのだろうか、ということです。
たとえば、『クレイマー、クレイマー』や『ミセス・ダウト』など、子育てをする父親を主人公にした映画が20世紀後半のアメリカでは一つのトレンドとなりました。ところが、これらの映画において、父親は母親と協力して育児をするわけではありません。むしろ、これらの映画の中で、母親は「フェミニズムに目覚めてキャリア・ウーマンとなり、子育ての責任を放棄した」女性としてステレオタイプ的に描かれ、父親と子供の美しい絆を脅かす存在として描かれています。
そのような男性にとって都合のよいジェンダー観がどのような歴史や文化のなかで生まれたのか。またそれが現実のアメリカの父親たちの生活とどのように違っているのか、いないのか。あるいは、日本文化に描かれた「イクメン」たちは、アメリカ文化における理想の父親像とどのように異なっているのか、いないのか。そういったことを明らかにするのが、アメリカ研究者としての私の仕事の一つであると考えています。