03special

“よみもの”

20210526

フィクションを通して異文化を理解する

国際交流学部 国際交流学科 上原 かおり 准教授

わたしは中国の近現代文学や、中国の文化・社会の授業を担当しています。わたしの授業では主にフィクション作品を通して中国の文化・社会について学びます。以下に三つのアプローチの例を紹介しましょう。

1.フィクション作品のリアリティと共感

フィクション作品を読んだり見たりしている時、虚構だとわかっていながら、リアルだと感じ、共感している時はありませんか?

フィクション作品の物語にも、当たり前ですが世界観、価値観が含まれています。どの登場人物に感情移入するかは読者・観客にとって重要な関心事ですが、ひとまず措くとして、同じフィクションに共感するということは、一つのコミュニティの世界観や価値観を共有するということです。逆に違和感を覚えたり、共感できない場合、あなたはその作品を共有するコミュニティの外側にいると言えます。しかし、その距離感にこそ他者(異文化)理解の鍵があります。つまらない、合わないという感想とは別の観点――彼らが作品のどこを面白がり、共感しているのかという観点から考えてみると、異文化理解へのきっかけになるのではないかと思います。

アジア初のヒューゴー賞受賞作品・劉慈欣『三体』の日本語版(立原透耶監修,大森望ほか訳,早川書房,2019年)

2.フィクション作品を支えている言説
フィクション作品の世界観や価値観は、作者・作り手の認識や思考を反映しています。1960年代、ミシェル・フーコーという学者が、特定の社会的・文化的な集団において、何が言え何が知られるのかといったことについて、統御のメカニズムによって制限されながら規定される言語表現としての「言説」という考え方を提示しました。

わたしたちが無意識・無自覚のうちに受け入れている規範や価値観にも言説が関わっています。そして、フィクション作品の物語のリアリティや共感を支えているのも往々にして言説です。この言説という観点を持つと、作品をとりまく共同体をより深く理解することができるのではないかと思います。

3.メディアと想像力
フィクション作品に展開される「いま・ここ」ではない世界にワクワクしたり驚いたり、その想像力に感服することはありませんか?

想像力は、科学的な発見や、新しい芸術作品などを生み出し、わたしたちの知を更新してきました。想像は、その人の過去の経験や知識を基盤に再構成されています。したがってフィクション作品のなかの想像力に注目することもまた、異文化理解のきっかけになることでしょう。

1960年代、マーシャル・マクルーハンという学者が、電子工学の時代の到来に着想を得て、人間が生み出し、人間の能力を拡張した(結果的に切断ももたらす)あらゆる技術を「メディア」と見なし、メディアは単なる媒体ではなく、内容とは別にそれ自体がメッセージであるという考え方を提示しました。いまスマートフォンを活用しているみなさんは、わたしたちの生活に浸透した様々なメディア(技術)が、わたしたちの視覚聴覚、声、手や足、皮膚や神経の拡張となって五感に影響を与えていることを感じているのではないでしょうか?

メディア論の視点を持ったフィクション作品にサイエンス・フィクション(SF)があります。SF作品の作家・作り手たちは、科学の新発見や新技術を鋭敏にとらえ、洞察し、未来社会を想像しています。異文化社会ではどのような未来世界が想像されているのか、その世界で日本がどうなっているのか気になりませんか? 少し変わったアプローチかもしれませんが、あなたの認識を覆す学びがあるかもしれません。


参考資料
M・フーコー著、中村雄二郎『知の考古学』河出書房新社、新装新版、2006
ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳、『定本 想像の共同体: ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山、2007
マーシャル・マクルーハン著、栗原裕・河本仲聖訳『メディア論 人間の拡張の諸相』みすず書房、1987
ダルコ・スーヴィン著、大橋洋一訳『SFの変容―ある文学ジャンルの詩学と歴史』国文社、1991
武田雅哉・林久之『中国科学幻想文学館』上下巻、あじあブックス、大修館書店、2001

scroll to top