03special

“よみもの”

20210524

ラテンアメリカで考える「人種」統計の政治性

国際交流学部 国際交流学科 遠藤健太 助教

ラテンアメリカは、植民地化以降のさまざまな過程を経て多様な人種の人々が共存・混淆してきた地域だと言われます。また、ラテンアメリカのなかでも、比較的「先住民」の人々が多く居住している国もあれば、「白人」の人口が多い国や「黒人」の人口が多い国もある、と説明されたりします。

とはいえ、実はラテンアメリカの多くの国では、人種ごとの人口統計というものは長らく存在していませんでした。つまり、「先住民」や「白人」や「黒人」の人々がそれぞれ何人ずつ住んでいるのかについては、せいぜい大雑把な推計しかなかったということです。これは、米国が長年にわたり国勢調査のなかで人種に関する統計をとり続けてきたこととは、実に対照的です。

ラテンアメリカの国々が長らく人種についての統計をとってこなかったのはなぜか。その背景には、この地域の国々が20世紀の早いうちから、「われわれはみな混血」という均質的な国民像を掲げ、それを根拠に「わが国には米国のごとき人種問題は存在しない」と主張してきたという事情があります。つまり、政府自身が国内の人種的な多様性を可視化するようなデータをあえて欲していなかったというわけです。

しかし、実は20世紀の終わり頃から事情が変わってきています。世界的な多文化主義の潮流を受けて、ラテンアメリカ諸国の政府も、国内にさまざまな人種の人々が存在することを積極的に認めるようになってきたのです。例えばボリビアは2009年に正式な国名を「ボリビア多民族国」と変更したほどです。そして、この流れのなかで、近年ではラテンアメリカ諸国の国勢調査でも、米国と同じように人種ごとの人口統計をとる例が増えてきています。

エクアドル2010年国勢調査の調査票(人種についての質問)

ベネズエラ2011年国勢調査の調査票(同)

米国2020年国勢調査の調査票(同)

これでようやく各国の人種統計の実態が正確にわかるようになったかと言えば、そんな単純な話でもありません。というのも、その統計はとても流動的であり、実態などあってないようなものだからです。近年の国勢調査における人種についての質問はあくまで自己認識を問うものなので、ある人が「黒人」であるか「白人」であるか「混血」であるかを決めるのは回答者自身です(人種は生物学的・遺伝学的に特定できるものではありません)。そのため、例えば黒人の地位向上をめざす政治団体の人々は、黒人の存在感を大きく示すために、「人種質問の欄では『黒人』と回答してください!」と住民たちに呼びかける運動を展開していたりします。また、回答欄の選択肢が少し変わるだけでも調査結果(=その国の人種構成のデータ)は大きく変わってしまうため、各人種グループの人々が自分たちを(自分たちの望む名称で)選択肢の中に含めることを求めて政府と交渉をしていたりもするのです。

メキシコのアフロ系(黒人)団体のTwitterアカウント:
同国の2020年国勢調査において「黒人ですか」という質問に「はい」と回答するよう呼びかける運動を展開していた。

このように人種統計は政治情勢などによって左右されてしまう流動的なデータであるため、「やはり人種統計など無意味だ」、「こうして人種の差異を可視化することがむしろ差別を助長するのだ」と主張する人々もいます(いわゆるカラー・ブラインドネスの思想)。また逆に、「『人種なんてない』という主張は現存する差別を黙殺することにつながる」、「差異と多様性を認め、差別の実態を直視したうえで適切な対策をとるためには人種統計が必要だ」という主張もあるのです(こちらが多文化主義の思想)。両者間の論争は簡単に決着がつくものではなく、私たちも自分ごととして考え、意見していくべき問題だと思います。

そして、上記のような事例をまのあたりにするたび改めて思わされるのは、統計の政治性という問題です。ひとつの情報源から示される統計を鵜呑みにせず複数の情報源に触れてみること、そして異なる情報源から異なる情報が発せられていることに気づいたらその原因を考えてみることが大切です(その背景にしばしば政治的な対立があります)。これは、フェイクニュース問題が深刻化する「ポスト・トゥルース」の時代、あるいは見たいものだけを見ることで分断が加速するSNSの時代に、異なる思想や価値観を持つ人々と歩み寄るために必要な技術であり、これを鍛えるのが大学の学問の重要な役割だと思います。

(2021年5月24日)

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