03special
“よみもの”
20210520
「キリスト教のシンボルは何ですか」と聞かれたら、多くの人は十字架と答えます。しかし「十字架とは何でしょう」と聞くと、答えに詰まってしまうかもしれません。
十字架、それは死刑の道具でした。しかしその凄惨な十字架が、愛と和解の象徴と見なされるようになりました。一体どういうことでしょうか。
今回ご紹介したいのは淵田美津雄(1902~1976)という人物です。時々NHKなどで取り上げられ、ご存じの方もおられるでしょう。淵田はかつて、日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃で、その攻撃隊総隊長を務めた海軍軍人でした。しかし戦後キリスト教に入信し、伝道者としてアメリカに渡りました。
淵田は入信のきっかけを次のように語っています。(以下、淵田美津雄『真珠湾からゴルゴタへ』ともしび社、1954年、参照)
1945年、日本は敗戦しました。連合国による戦犯裁判が始まりましたが、淵田はこれに不信を抱きます。そのため、続々と帰国する元捕虜の日本兵たちにアメリカ側の扱いぶりを聞いて回りました。ところがその中に、「不思議に良い扱いを受けた」と証言する人々がいたのです。
淵田は詳しく話を聞いてみました。すると、その人々が捕われていた収容キャンプに、いつしか一人の若いアメリカ人女性が現れ、日本軍捕虜に親切を尽くしてくれるようになったと言います。その心のこもった看護は何週間も続きました。捕虜たちは心打たれ、なぜそれほど親切にしてくれるのかと尋ねました。はじめ返事をしぶっていた彼女ですが、ついに口を開きます。「私の両親が日本軍に殺されたからです」。
このアメリカ人女性の両親は宣教師としてフィリピンにいました。戦禍を逃れて山中に隠れていましたが、あるとき日本軍に見つかります。そしてスパイの嫌疑をかけられました。死ぬ支度に30分が与えられ、その間に聖書を読み、神に祈り、そして日本軍の刃が下ろされました。
両親の訃報がアメリカに伝えられ、女性は大きな悲しみと日本軍への憤りに満たされます。しかし両親の姿とその教えを思い起こす中で、殺される直前、両親はどのような祈りを捧げたのか思いを巡らすようになりました。すると憎しみよりも愛の心が芽生え、日本軍捕虜を看護する働きに志願したということでした。
この話に心打たれた淵田ですが、どう受け止めればよいか分からず月日が経ちました。ある日、渋谷駅で下車すると、駅前でアメリカ人が道行く人々にパンフレットを配っています。そこには一人のアメリカ人軍曹の写真とともに、「私は日本の捕虜でした」とありました。それは、かつて東京爆撃隊に参加したJ.ディシェイザーの入信手記でした。
そのパンフレットに書かれていたのは、捕らわれて虐遇を受けるなか、人間同士が憎み合うことの愚かさを覚え、改めてキリストの教えに取り組み始めたということでした。淵田はディシェイザーの言葉に共感を覚え、聖書を買い求めました。そしてページを繰っていると、「父よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり」(ルカ福音書23章34節、文語訳)という一文に目を奪われたのでした。
これは十字架上のイエスが口にしたとされる聖書の言葉です。イエスは神の愛を言葉と生き方を持って示しましたが、それを快く思わない人々によって十字架刑へと追いやられました。その時、そのような目に遭わせている当の人々を念頭に、「彼らをお赦しください」と神に祈ったのです。
淵田はここで、両親を殺されたアメリカ人女性が日本軍捕虜に親切にした話を思い起こします。淵田にキリストの愛が迫りました。彼はその愛に捉えられてしまったのです。その後、淵田はアメリカに渡り、ディシェイザーと共に各地でキリストを伝えました。かつての真珠湾攻撃隊総隊長と東京爆撃隊爆撃手、この二人が共に歩む姿は日米和解のシンボルとなりました。
十字架には縦木と横木があります。まず神の愛が上から下へ、神から私たち人間に、イエス・キリストを通して示されました(縦木)。そして、その愛を身に受けた人は、神を愛し他者を愛するものへと変えられていきます(横木)。イエスの死を通して示された神の愛とその愛に基づく人間同士の和解、それこそ十字架のかたちが象徴するものです。
私たちが生きる世界は、政治や経済、軍事など、様々な要素が複雑に絡み合っているのは確かです。しかしそれらと並び、いやそれらに増して、愛と和解こそ世界を変革する鍵なのではないか・・・そうキリスト教は問いかけています。