01from ferris to you

“おたより”

20180123

協定校フィリピン大学ディリマン校 ウェスタン・デラペーニャ教授の特別講義を行いました!

11月23日、来学中のフィリピン大学ディリマン校国際研究センター教授でフィリピン大学ヨーロッパ言語学部のディレクターであるウェスタン・デラペーニャ教授の特別講義が、国際センターグループスペースで開かれました。

“Imitating La Tierra Del Sol Naciente : Japan in the Filipino-Hispanic Elite’s Imagining of a Post-Colonial Philippines”(日出ずる国を模倣する:ポストコロニアル・フィリピンのスペイン語話者エリートたちにとっての日本)と題した講義では、19世紀末から20世紀初頭にかけて横浜や東京に滞在していた当時のフィリピンの知識人・エリートたちが、欧米列強の植民地ではない日本の姿に、自分たちのモデルを見ていた、という興味深い事実が紹介されました。特に、デラペーニャ先生が最近その書簡のフィリピン語訳に取り組まれたマリアノ・ポンセ(フィリピン革命政府の駐日大使的役割を担っていた人物)や、フィリピンの独立運動のヒーローとされるホセ・リサールの日本での滞在の様子が、当時の写真や手紙から紹介されました。またデラペーニャ先生は、特にリサールやポンセが日本人女性を妻や恋人としていたことに触れながら、「日本とフィリピンの間のラブストーリー」として、学生にもわかりやすく歴史の面白さを紹介してくださいました。この時期の日本とフィリピンとの間にこうした人的な交流があったことは、まだあまり広く知られてはおらず、今後の研究がさらに期待されているテーマです。

当日、講義には学生だけでなく、フェリスの教員および他大学の教員など約30名が参加しましたが、中でも本学国際交流学部の大西比呂志先生からは、1923年ごろから20年近く横浜で暮らし現在山下公園にその記念碑もある、フィリピンのリカルテ将軍についても紹介していただきました。デラペーニャ先生によると、フィリピンではスペインからの独立運動の時期に活躍した人物の中でもリカルテ将軍はあまり人々に記憶されていないということでしたが、逆に日本ではポンセについてあまり知られていないとのこと。今後マニラと横浜の間でさらに歴史的事実の発掘が必要である、ということが確認されました。フィリピン大学と本学との間で、今後さらに新しい研究交流が生まれていくことでしょう。

文学部コミュニケーション学科教授 小ヶ谷千穂

scroll to top