03special
“よみもの”
20161125
私の専門分野「アメリカ研究」は、「地域研究」の一つです。「地域研究」とは「現代の生きた国際社会を対象とし、既存の学問方法にとらわれない学際的なアプローチを駆使した外国研究」(『ブリタニカ国際大百科事典』より)と定義づけられます。「アメリカ研究」はそのアメリカ版で、〈アメリカ社会を総合的に研究する学際的な学問〉ということになります。「学際的」とは、複数の学問分野に及ぶ、という意味です。すなわち、政治学や文学などという一学問分野の内容から研究テーマを考えるという発想ではなく、日頃ふと疑問に感じる身近な事柄が問題意識の出発点となります。
たとえば、「なぜアメリカでは肥満人口の割合が多いのか」という疑問を解明しようとする場合、健康については医学や栄養学を、大量消費という「アメリカ的生活スタイル」には歴史学や経済学を、肥満対策を考えるには法律学や政治学などの力を主に借りる必要があります。しかし、アメリカ研究では、こうしたあらゆる学問分野について詳しく知っている必要はありません。またそれは相当の苦労を要します。ではなく、「アメリカ研究」では、そのコア(核・中心)となる学問分野として、歴史学、社会学、人類学などが想定され、その他の分野についてはその時々の問題意識に合わせて知識や分析方法を「借用」してくるだけで十分とされているようです。
ところで、みなさんは、「ヒスパニックHispanics(あるいはラティーノLatinos)」という言葉を耳にしたことがありますか。アメリカ合衆国に住み、自分自身あるいは自分の父母・先祖がラテンアメリカ出身者である(あるいは、そう考えている)人のことをいいます。誤解されている部分が多いのですが、このなかには米国生まれの人も外国生まれの人もいます。マスメディアでよく取り上げられるように、不法入国者も含まれる一方で、米国市民もいれば、合法移民もいます。この集団が私の研究対象であり、出身国によって規定される諸集団(メキシコ系、ホンジュラス系など)どうしの関係性や各集団内の多様性に特に注目しています。
ラテンアメリカ地域は主にスペイン語圏であるため、そこからの出身者とその子孫を研究することはアメリカ研究にはならないのでは、と思う人がいるかもしれません。いいえ、そんなことは全くありません。中南米地域は歴史的にも「北の巨人」であるアメリカの影響をあらゆる面で色濃く受けてきており、その結果出来上がった本国にいるよりも、安寧で経済的に豊かなアメリカの方に魅力を感じ、入国して来る人が多いのです。入国後も、異文化との葛藤の中で日々暮らしている人が大半です。つまり、かれらの歴史・現在・未来には常に「アメリカ」が関わっているのです。かれらと「アメリカ」との間の相互作用を見ることは、まさに「アメリカ」の一側面をあぶりだすことにつながり、これも「アメリカ研究」といえるのではないでしょうか。
そのうえ、今日のアメリカ社会を多面的・多層的に見れば、一概にアメリカ人のほとんどが英語を日常的に話しているとは言えない側面もあります。例えば、役所など、いわゆる「公の場」では英語を使用することが原則として求められているかもしれませんが、家庭では英語以外の言語を使用する(しなければならない)人もいるでしょう。英語がわからない移民一世の父母・祖父母のために「故郷のことば」を使わざるを得ないという、現実的な理由もそこにはあります。米国商務省国勢調査局の2011年の統計によれば、5歳以上の米国人の約20.8%が家庭で英語以外の言語を使用しています。非英語使用者のうち、62%がスペイン語とその混成語を話し、それに続き、中国語(4.8%)、フィリピンの公用語であるタガログ語(2.6%)、ベトナム語(2.3%)、フランス語(2.1%)などが使用されています。さらに詳しくは、米国国勢調査局ホームページの’Language Use in the United States: 2011’ []、を参照ください。
要は、アメリカ研究では研究対象が言語圏ではなく、あくまでもアメリカ合衆国という国や地域によって規定されるのであり、現状では、国自体が多言語社会となっているので、非英語使用者も視野に入れたアメリカ研究もあってしかるべきとなります。近年は特に1980年代以降の多文化主義の影響で、多人種・多民族・多言語などを前提としたアメリカ研究も学界では認められるようになっています。このように、「アメリカ研究」は実情に合わせた柔軟性のある、懐の深い学問領域であることが理解できましょう。ただし、ヒスパニックに関する文献研究では、専門書の大半が英語によるものという現状ゆえに、英語が読めた方が断然いいことは確かです。
目下の私の研究対象は、ヒスパニックの約3.8%(2013年の米国国勢調査局データ)を占め、さらに増加傾向を見せるエルサルバドル系です。エルサルバドルは、中央アメリカの小国の一つで、南北のアメリカ大陸の境目のあの細長い部分(くびれ)に位置します。出身者の多くがロサンゼルスに居住するため、共同で研究するラテンアメリカ研究者と一緒に、最近ではほぼ毎年、夏季の大祝祭期間や独立記念日前後の期間に合わせて現地へ研究調査に出かけています。本国で「中米紛争」が激化した1980年代をピークに暴力や人権侵害を逃れ米国に大量入国したエルサルバドル系は、主要言語がスペイン語なので、アンケート調査時にはスペイン語が堪能な共同研究者の助けが欠かせません。かれらとじかに接する現場では、外部の人間をできるだけ抵抗なく受け入れてもらうためにも、かれらの母語(mother tongue)を駆使できる能力が貴重となります。
本国から離れて暮らすかれらは、働いて稼いだお金の一部を故郷の家族・親戚に「送金」する形で本国とつながっています。エルサルバドル本国にとって、こうした「送金」は貴重な外貨獲得の手段でもあり、送金者にはこれによって本国の政治への影響力を多少なりとも持てることになります。私の研究関心のひとつは、かれらが米国市民権を得たあとでも本国の政治にも関心を持ち続けているのか、それとも米国の政治だけに関心が向いて行ってしまうのか、という点です。エルサルバドルの現行憲法では二重国籍が認められており、米国籍を取得しても本国の国籍を手放さなくて済むということから、本国との心情的結びつきはそうでない場合よりも強いのではないかと考えています。もうひとつの関心は、移民女性の移住行動、および定住過程における女性を取り巻く環境の変化とその影響です。近年のアメリカにおける移民研究では、エルサルバドル系女性も、男性と同様に、家族を経済的に養うために労働現場で〈奮闘する姿〉が報告されています。もともと「男尊女卑」の傾向が強かった本国から渡米した移民女性が、家族内での役割の変化とともに、男女平等を基本とするアメリカ社会で行動様式・思考様式などの面でどのような変貌を遂げるのか。こうした点も探っていこうと思っています。
多くが貧困層に属するかれらには、仕事に忙殺される毎日の生活の中で自らの考えを文章にして残す機会はほとんどありません。本国で満足な教育が受けられず、文字を読んだり書いたりできない人もいます。学界での研究でも、特に大量の人々を対象にした聞き取り調査を基にしたものはほとんど見当たらないのが実状です。したがって、かれらの考え方、本国での個人的な過去、実体験などに関心を持つ研究者は、かれらの中に直接入って行って、少数弱者の「生の声」を資料として集めるしかないわけです。統計的に意味を持つとされる2,000人という目標回答数の達成の実現は容易ではありませんが、このアンケート調査がいつかは実を結ぶものと期待しつつ、われわれも日々奮闘しています。
【参照文献】
五十嵐武士・油井 大三郎編『アメリカ研究入門』東京大学出版会、2003年。
(2016年11月16日)