03special
“よみもの”
20151220
奈良時代の文字
下の写真の本。何が書いてあるのか、おわかりでしょうか。
一見したところ、漢字ばかりが並んでいて、漢文かな、とも思ってしまいそうです。ではありますが、これは漢文ではありません。『万葉集』という現存する日本最古の歌集(奈良時代)に載せられた歌、五・七・五・七・七の、いわゆる和歌というものです(写真は江戸時代・寛永20年の版本『萬葉和歌集』フェリス女学院大学附属図書館蔵)。この本の4行目の和歌について少々見ていきましょう。これを活字にして書き出してみると、
(A)春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山(巻1・28)
となります。見事なまでに「漢字」ばかりですね。それもそのはず、私たちが現在、当たり前のように使っている「ひらがな」「カタカナ」というものは、平安時代に発明されたもの。奈良時代には文字といえば「漢字」しかありませんでした。ですから、かな文字前夜の日本にあっては、歌であっても漢詩であっても、ちょっとした手紙の類であっても、全て「漢字」で書かれているのです。ちなみに、現代風の書き方、つまり漢字仮名交じり文でこれを書いてみると、
(B)春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山
となります。なるほど、こうなると私たちにもなじみ深い、いかにも「和歌」らしい感じがしてきます。少々の異同はありますが、小倉山百人一首で有名な持統天皇の歌ですね。
訓と仮名と
さて、せっかくですので、(A)の歌にフリガナを振って訓んでみましょう。
春・過・而 夏・来・良之 白妙・能 衣・乾・有 天之香来山
「春」は「はる」、「過」は「すぎ」、など私たちと同じような使い方(いわゆる訓読み)がある反面、「而」を「て」、「之」を「の」と訓んだり、あるいは「良之」で「らし」、「能」で「の」と訓んだりするあたりは、私たちの漢字の使い方とは幾分違っています。「而」と「之」とは、漢字の助字としての用法(高校の漢文の時間に学習しますね)。「良之」や「能」というのは、漢字の音を借りて音韻を表す、いわゆる万葉仮名というもの。「ひらがな」や「カタカナ」が発明される前は、「阿」「伊」「宇」「衣」「於」などのように漢字の音を借りて、音声を表現していました。こうして見てみると、古代人の文字の書き様は、漢字の訓読みがあって仮名があって、というふうに、意外と私たちの文字の使い方と近いようにも感じられます。
仮名が漢字であること
ただ、最も違うこと。それは、万葉仮名もやはり「漢字」であるということです。「漢字」というものは、音もあるけれども、同時に意味もある。これが思った以上に大きい違い。
たとえば「恋」。もし「ひらがな」で書くならば「こひ」。『万葉集』の中には、この「こひ」を万葉仮名で「孤悲」と書くものが多く見受けられます。「恋」しさというのは、相手に会えないつらいときにいよいよ強く感じられるもの。つまり、「恋」を「孤悲 」と書くことには「 孤(ひとりぼっち)」の「悲(かなしみ)」の中で「恋」しく思っていることが表現されているのです。
こうなると、ここでの万葉仮名はただ単に音を借りるというのではなく、その漢字が思い起こさせる意味と、音とが融合して一つの表現となっているということですね。
漢字がもたらす想像力
(C)…… 春待跡 居之鶯 鳴尓鶏鵡鴨 (巻8・1431)
などと書かれている歌もあります。読みかたは、「春待つと 居りし鶯 鳴きにけむかも(春を待つといって枝にとまっていた鶯はもう鳴いたであろうかなあ)」です。この「鶯鳴尓鶏鵡鴨」の文字の連鎖。文字列の中に「鳥」が飛び交っています。春になって鶯が鳴くということと、沢山の「鳥」の賑やかなイメージとが重なっているようです。
仮名も含めて全てが「漢字」であった時代には、漢字ならではの表現の妙-遊び-がたくさんありました。
こんな古代人の文字に対する遊び心を感じながら、古代の日本人が漢字を用いながらどのようにして日本の文化の基盤を築いていったのか、そんなことを探るのも興味深いものです。