03special
“よみもの”
20151219
日本文化と一言で言っても考えるところはみんな違う?
「異文化間コミュニケーション研究と聞くと、日本文化とアメリカや中国、韓国など諸外国との比較についての研究を思い出す人が多いのではないでしょうか。しかしここで落とし穴になるのは、日本文化について私たちは本当に知っているのかということです。同じ日本に住む日本人だったとしても年齢や性別、環境の違いから日本文化への理解が異なる可能性は大きいですし、同じ親から生まれた兄弟ですら理解が異なるかもしれません。
だからある人が一人のアメリカ人と交流をした時に『文化が違うから理解できない』と思うか『この人とは理解しあえる』と思うかは、もしかすると文化の違いではなく、それぞれの個人のキャラクターや性質によるものではないのか。私のゼミではこのような問題について研究をしています」と相澤先生。
今年はまず自分自身を知るということを主眼に置いた授業を行っているそうです。
「日本人らしさ」「日本的」とは何かを探る
「今期は特に日本人らしさ、日本的と呼ばれているものを見直すことをテーマにしています。例えば日本は『和を尊重する』『共同体指向』の文化と言われています。
しかし世界に目を向けてみると、タイには『グレンチャイ』という言葉があります。これは『空気を読む』という意味で、タイではいくら勉強ができてもグレンチャイができなければ出世できないと言われているほど重要視されている事柄なのです。このように従来日本的な特徴と言われていたことでも、東南アジアに目を向ければ珍しくない習慣であったりします。
このように普段当たり前だと思っていたことが当たり前ではないとわかること、当たり前だと思っていることに疑問を持つことが、異文化間コミュニケーションの基礎になってきます」
わかり合えない相手を知り、いかに共存していくか
私たちは相手と自分が同じ価値観を共有できることを「理解し合える」と言いますが、では、なぜわかり合えない人もいるのでしょうか。それを考えるために、授業では、人間を欲求の偏りによって4つに分類し、どのような性質を持っているかを見るという「4タイプ」の診断テストが行われていました。
「日本には『わかりあい神話』というのでしょうか。相手と自分が同じ価値観を共有できることが大前提のように思われています。ですが他人同士、全く同じ価値観を持つことはできません。だからこそ違う相手とどのように共存していくのか、感性や感覚が全く違う人とはどのように付き合っていけばいいのか、その指針になるためのタイプ別診断を行いました。これを知ることで『だからあの人はこういう考え方をするんだ』という理解が生まれ、他者・他人を受け入れる、許せるキャパシティも広がってくるのではないかと思っています」
受験生の皆様へ
個を認め、受け入れることがコミュニケーションの始まり
コミュニケーション能力が重視される時代、コミュニケーション学科と聞くと「誰とでもうまく話せるようになりそう」「コミュニケーション能力が高い人しかいなそう」というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
「私が『コミュ障(コミュニケーション障害の略)』という人に聞いてみたいのは、あなたが思うコミュニケーションをうまく取れる人はどんな人かということです。誰にでもポジティブ? 説得術がうまい? それとも口げんかに強いのか、人それぞれの理想像があるかと思います。コミュニケーション学科にはコミュニケーション能力が高い人もそうでない人ももちろん在籍しています。大学に入ったからといって、コミュニケーション力が高くなるかと言えばそうではないかもしれません。それは、目指すコミュニケーションが違うからです。この学科、私のゼミでは、他者と自分が同じになることではなく、個を認め、違う相手といかにうまくやるか、それがテーマです。興味を持った方は、コミュニケーションとは何か、フェリスで学んでみましょう」