03special

“よみもの”

20151219

アメリカを歴史する

文学部 英語英米文学科 梅﨑透 教授

フラットアイアン・ビル(1902年完成)、 ブロードウェイをねり歩くニューヨーカーたち、 2003年撮影

シアトル発のコーヒーにニューヨーク発のドーナツ。そういえば、あのステーキハウスもオイスターバーも、高級デリもニューヨークから。お昼のピザはシカゴで、今着ているフーディーはカリフォルニアのファストファッション。スマホもシリコンバレーからだし、そういえば、先日観たあの映画はオスカー作品で、今ヘッドホンから流れるのはアメリカン・アイドルの歌声。そして、やっぱりアメリカの大学に留学してみたい。

私たちは、日々、あふれんばかりのアメリカ発の文化やモノを消費します。しかし、それがアメリカのものであると意識することさえありません。けれども、立ち止まって、その背景にあるなにかを覗いてみませんか?日本が、アメリカが、世界が透けて見えるかもしれません。

クライスラー・ビル(1930年完成)、 2008年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

クライスラー・ビル(1930年完成)、
2008年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

ペリーからオバマへ

日本とアメリカの関係は、1853年の黒船来航にさかのぼります。東インド艦隊司令長官マシュー・ガルブレイス・ペリーは、太平洋ではなく、大西洋とインド洋を経由して上海に立ち寄り、日本にやってきました。浦賀では幕府高官にアメリカ合衆国大統領親書を手渡したのですが、開国を迫られあわてた幕府は力士を動員して迎え入れ、その後東京湾には砲台(お台場)を急ごしらえしたそうです。

フェリス女学院大学の前身が、アメリカの改革派教会の宣教師によって設立されたのは、そのわずか17年後です。当時の日本は、アメリカの「文明」に学び、様々な技術や制度を採り入れました。アメリカの文化も入ってきました。大正ロマンの女性(モダンガール)のファッションは、同時代のアメリカのフラッパーがお手本といわれます。茶道などの日本の文化もアメリカでもてはやされました。

ワシントン・モニュメント(1885年完成)、 対テロ戦争に反対する人びと、2003年撮影

ワシントン・モニュメント(1885年完成)、
対テロ戦争に反対する人びと、2003年撮影

その後、第二次世界大戦を経て、日本とアメリカの関係はさらに密なものとなります。政治や経済、文化など、どの側面においてもあまりに密で、アメリカ好きと嫌いの相反する複雑な感情が戦後の日本を支配するようになりました。日本人の生活スタイルがアメリカ的になったのもこの時代です。いまやアメリカのものをありがたがっていた時代は過去のものとなり、日常にあふれるアメリカは、もはやアメリカですらないのかもしれません。それでも、バラク・オバマが大統領になってノーベル賞を受賞したニュースに共感したり、アメリカ兵の姿に米軍基地の存在を感じたりと、アメリカは常に私たちの意識せざるを得ない場所にあるようです。

フラットアイアン・ビル(1902年完成)、 ブロードウェイをねり歩くニューヨーカーたち、 2003年撮影

フラットアイアン・ビル(1902年完成)、
ブロードウェイをねり歩くニューヨーカーたち、
2003年撮影

アメリカを歴史する
さて、「歴史する(doing history)」ということばは、「科学する」や「哲学する」ほどはなじみがないかもしれません。歴史というと、年号や用語の暗記というイメージが強く、私自身、受験の世界史は苦手でした。しかし、実はだれもがあたりまえに歴史しています。それは、過去をつかって現在や未来を考えることです。おそらく、そのきっかけは「なぜだろう?」という問いです。例えば、シアトル生まれのコーヒー屋はなぜ世界中でこれほどまでに人気なのだろうとか、ペリーはそもそも何を目的に日本の開国を迫ったのだろうとか、オバマが「黒人初」の大統領と呼ばれることにはどのような背景があるのだろうかと問うことです。自分から発せられた問いは、かならず自分に返ってきます。そこにはシアトル生まれのコーヒー屋でバイトしている自分がいたり、ペリー以降の日本の中のアメリカを感じる自分がいたり、オバマに期待したりする自分がいるのです。

ブルックリン・ブリッジ(1883年完成)の木製歩道、 2012年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

ブルックリン・ブリッジ(1883年完成)の木製歩道、
2012年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

そうした素朴な問いを繰り返し、私は、アメリカでアメリカの歴史を学び、いまの職業を得ることになりました。私にとっては1980年代の中学時代に没頭したアメリカン・ポップスがその最初のきっかけだったかもしれません。 現在では、1960年代のアメリカにおける人びとの文化的、政治的な運動がいかに起こり、どのような影響を現在にもたらしたのかを史的に研究しています。それは、キング牧師ら黒人が人種的公正を訴え、学生が反戦を議論し、女性が性差別に異議を申し立て、ヒッピーの若者が愛と平和を歌う世界です。さらに踏み込むと、そうしたアメリカの人びとの運動が、アメリカという一つの国だけで完結しているのではなく、日本を含む世界中の人びとの営みと国境を越えて連動している様子が浮かび上がってくるのです。そして、それは今に生きる私たちの世界にもつながっています。

素朴な問いが予想以上の大きな問いにつながっていくことがしばしばあります。答えを求め探究することこそ大学での営みです。おそらく、近くて遠いアメリカは最良の素材です。いっしょにアメリカを歴史してみませんか?

~TEA BREAK~
ハーレムでナマズを食す

1999年から2005年までニューヨークに留学しました。マンハッタンにはおいしい食べ物があふれています。さまざまなエスニック・バックグラウンドをもった人びとが世界中から集まっているので、どの料理も確実に世界で2番目に美味いなどといいます。もちろん、1番はそれぞれの本国で、北京ダックなら中国が、ピザならイタリアがということになります。ならば、本場のアメリカ料理ならばニューヨークが一番ということになるのでしょうが、アメリカ料理というジャンルはあまりはっきりとしません。けれども、留学時代に住んでいたハーレムという地区に、伝統的なおいしいアメリカ料理がありました。

ハーレムは20世紀初頭から現在までアフリカ系アメリカ人が多く住む、アメリカの黒人文化の一つの拠点となっています。古くからジャズやゴスペルなどの音楽のほか、文学や演劇など、アフリカ系アメリカ人独自の文化が栄えました。そのWest 116th St.にあるAmy Ruth’sというレストランでは、南部由来の彼らの伝統料理であるソウルフードを提供します。私のお気に入りはカリカリに揚がったナマズのフライ(Fried Catfish)です。さくさくで、臭みもなく、何度となく通いました。この店のメニューは名前も凝っていて、 “The President Barack Obama”などというのもあります。現地の人びとの1番人気は、大きなフライドチキンがワッフルの上にどかんとのったもので、それにシロップを大量にかけて食べています!

自由の女神像(1886年完成)、 2012年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

自由の女神像(1886年完成)、
2012年英文学科アメリカ現地実習にて撮影

ヨーロッパやアフリカ、そしてアジア、ラテンアメリカなど、人びとが世界中から持ち寄ったさまざまな料理を楽しめることはニューヨークの喜びの一つです。こうした食べ物の起源や、その人びとがどのようにしてニューヨークに住むことになったのかなどの背景を考えると、ますます楽しくなってきます。

Amy Ruth’s
http://www.amyruthsharlem.com/

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