03special
“よみもの”
20151218
和歌って何?と聞かれたら、私は五七五七七音の三十一字の定型だと答えたいと思います。和歌のお約束は、実はその一点しかないのです。しかし、和歌を和歌たらしめる特徴は、この他にいくつかあります。私は三点にまとめられると考えています。
まず、一点目は、和歌はハレを題材としているということです。ハレとは、非日常的なことで、その最たるものは誕生と死という、人生に一度しかない出来事です。結婚式や入学式といった特別な儀式も、もちろんハレです。しかし、日々の暮らしの中にもハレはあります。たとえば雨が上がって虹を見た瞬間や、朝カーテンを開けて、太陽の光を浴びたときなど、心がきゅっと引き締まり、気持ちが前に向かって動く瞬間、これも広い意味でのハレなのです。そう考えると、一日に何度かは、ハレの瞬間があります。このひとときをとらえるのが、和歌なのです。ハレの反対は「ケ」です。和歌は、ご飯を食べるとか、トイレとか、日常的で心の動きに乏しいケの事柄は、原則として詠みません。リラックスばかりが尊重されがちな現代ですが、一日に一度くらいはハレの瞬間を持ってほしいと思います。
和歌の二つ目の特性は、理想を詠むということです。理想は、型と言い換えてもいいかもしれません。個性や十人十色とは全く反対の考え方です。全ての物事には、一番かっこいい、理想的な作法があるという考え方です。それは、勉強の仕方、恋の仕方、結婚の仕方、さらにいえば死に方にいたるまで、人間の生き方、行動様式には、理想の型があるという信念です。
理想的な型が、日常生活から儀式に至るまで、確固として存在しているという考え方は、和歌のみならず、日本文化の特性とも言えます。日本には、茶道・華道・武士道など、数多くの「道」があります。道は、型と深く関わっています。例えば、茶道を例に考えてみてください。歩き方から座り方、手の動かし方、一挙手一投足にわたって、まずは型をたたき込まれます。歌舞伎なども同じです。型がなければ歌舞伎ではありません。型を完全に身につけた後、初めて個性が生まれます。自由きまま、勝手に振舞うことはまず許されません。長い年月をかけて、研究されてきた結果、一番かっこよく、美しく、かつ力が発揮できる型があるのだという信念が、日本の道や伝統を貫く基本路線なのです。私は、こうした考え方がきらいではありません。ただ、これは、教科書や、人生のノウハウ本という意味ではありません。むしろ、絵画や音楽に近く、あくまでも芸術の力です。絵画や音楽によって涙を流すほど感動し、その結果心が形成されてゆくという経験は誰にでもあると思います。
三つ目の特徴は、「ハレ」や「型」とも深く関わるのですが、限られた世界で共有され、その中で研ぎ澄まされた文化であるという点です。たとえ自然を詠んでいても、人間の心情を詠んでいても、和歌に詠まれる限りは、自然そのものでも、ありのままの心情でもないのです。当時の人は、自然をありのままに理解するのではなく、和歌によって文化へと変質させてから、初めて理解していたのです。自然は自然であって、自然でない。人間社会の出来事や歴史、人間の心情と深く絡み合い、人間社会における意味を持つ「自然」であったのです。現代でも、雨が涙を連想させたり、秋風が悲しみを誘ったりするのも、私たちが幼い頃からおのずと身につけてきた「自然」の意味であって、その原点は日本の和歌なのです。
~TEA BREAK~
テレビ番組収録裏話
2013年9月、大阪ABC放送の「ビーバップハイヒール」という番組に「カシコブレーン」という先生役で出演しました。MCは、ハイヒールのリンゴさん・モモコさん、パネリストは筒井康隆さん、江川達也さん、ブラックマヨネーズの吉田さん、小杉さん、たむらけんじさん。過去の一・二回は百人一首、三回目は万葉集の恋歌。テレビ局の女性デイレクターさんと和歌のチョイスから構成まで、楽しみながら制作にも関わりました。収録時、MCと私には台本が渡されますが、お笑い芸人さんたちは台本なし。でも、本番になると、流れるように面白いことばや話があふれ出て、感動的でした。彼らは、ちょっとした笑いの種でも、絶対に逃しません。いっせいにわーっと拾い上げて、笑いにもっていきます。プロの技ですね。どの分野も第一線で活躍する人ってすばらしい。彼らのエネルギーには、天才ということばではとても表現しきれない、何かがあると思いました。