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“よみもの”

20151218

夏目漱石『心』100年に寄せて

文学部 日本語日本文学科 佐藤裕子 教授

2014年は、夏目漱石の『心』が発表されて100年目にあたります。1914(大正3)年4月20日から8月11日まで、110回に亘り朝日新聞に連載されました。

夏目漱石は、森鴎外と並び称される明治の文豪ですが、その作家生活はわずか11年であることは、あまり知られてはいません。漱石が本格的な作家活動に入るのは、東京帝国大学文科大学講師時代のことで、1905(明治38)年に「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表して以来、1916(大正5)年『明暗』連載中の12月9日に持病の胃潰瘍のために亡くなるまで、短編・中長編合わせて27作品を書き続けることになります。

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2016年は漱石没後100年、2017年は漱石生誕150年と漱石記念年が続きます。それに先駆けるように『心』100年を機に、改めて漱石ブームが巻き起こっていますが、それもひとえに漱石文学の持つ普遍性によるものであると言えるでしょう。30年以上前になりますが、留学生の友人たちが夏目漱石の文学はトルストイやドストエフスキーなどに通じる普遍性を持つ文学なので「我々留学生にとっては目新しいものではない」と言っていたことを思い出します。いわゆる「日本的なるもの」を体現する文学と、世界に共通する人間の苦しみや悩みを表現した文学と、漱石文学が後者であることは疑いもありません。つまりそれは「いつ」「どこで」「誰が」読んでも、「何度」読み返しても、何かしら共鳴するものがあるということです。『心』100年を記念して、多くの著名な研究者・作家が漱石文学の特色について様々に議論をしていますが、どこからでも切り込むことができるという漱石文学の豊かさと多様性こそ、それらの議論を支えていると言えるでしょう。

漱石は東京帝国大学を辞職して「文学」創作の道に入りました。これは大きな決断です。漱石の時代、それまで「趣味」や「教養」としての地位にあった「文学」が大学の「正課」となり、ヨーロッパにあっては「キリスト教」に代わり、社会や人生のあり方を問い直すものとして、道徳的・倫理的側面から「文学」の果たす役割が強く期待されていました。しかし漱石が『文学論』(東京帝国大学時代の講義録)第三編で「文学者」と「科学者」とを徹底的に比較して、その研究対象に対する態度の差にこだわったのも、現実生活の中でなんらかの役に立つ「実学」としての「科学」と、そうではない「文学」という色分けが、その当時から既に存在していたことを裏付けています。漱石は『文学論』の中で、「心理的に文学は如何なる必要あって、此世に生れ、発達し、頽廃するか」「社会的に文学は如何なる必要あって、存在し、隆盛」するかを究めようとしています。つまりそれは「文学」には、心理的にも、社会的にも人間を動かす力がある・・・・・・・・・・ことを証明しようとしているのです。

「文学」を研究することは役に立つのでしょうか?本当に文学部での学びが役に立たないものなのでしょうか?いいえ、それは違います。「文学部」では、少なくともフェリス女学院大学の文学部では「趣味」や「教養」として「文学作品」を読んでいるのではありません。フェリスの文学部は、〈読み解きのスペシャリスト〉〈自らの考えを的確に表現することのできるスペシャリスト〉を育成しています。ここでいう「文学」とは、必ずしも文字で書かれたもの、文字化されたものだけではありません。詩や小説や物語などの文学作品はもとより、マンガ・アニメ・絵画・映画・映像・地図・広告(CM)、あらゆる説明書、その場の雰囲気、人の顔色など、読み解くことのできるものは山ほどあるのです。あらゆる種類のテクスト(事象)を読み解き、読み解いたものを自分のことばで的確に発信するプレゼンテーション能力を身に付ける場所が、文学部です。「文学」こそ、漱石が自らの人生を賭けるに値するものとして選び取ったものなのです。

(2014.10.17)

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